B'z(ビーズ)メンバー(稲葉浩志_松本孝弘) 似顔絵イラスト
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1988年から現在も活動中 B'z(ビーズ) 稲葉浩志_松本孝弘 似顔絵 イラスト
B'z(ビーズ)は、日本を代表するロックバンドであり、その唯一無二のサウンドと圧倒的なライブパフォーマンスで音楽シーンのトップに君臨し続けています。1988年に結成され、ボーカルの稲葉浩志(いなば こうし)とギターの松本孝弘(まつもと たかひろ)の二人組で、現在も第一線で活躍中です。
国内外で多くのファンに愛され、デビュー当初は打ち込みを多用したポップロック寄りのサウンドでしたが、アルバム『RISKY』あたりからよりロック色を強め、その後は「B'zらしさ」を確立。松本の唯一無二のギターサウンドと、稲葉の魂を揺さぶるような歌声が融合し、誰にも真似できないスタイルを生み出しました。
「B'z 代表曲」としては、「ultra soul」「LOVE PHANTOM」「イチブトゼンブ」「BLOWIN'」「裸足の女神」などはファンならずとも一度は耳にしたことがあるはずです。「B'zの最高傑作はどのアルバムか?」という問いには、ファンの間でも意見が分かれるほど、どの作品にも強いこだわりが詰まっています。ロック色の強い『SURVIVE』や『The 7th Blues』、メロディアスな楽曲が揃う『LOOSE』や『IN THE LIFE』、そして近年の『EPIC DAY』や『NEW LOVE』まで、どの時代のB'zも魅力に溢れています。
彼らのライブは圧倒的なパフォーマンスで知られ、特に「B'z LIVE-GYM」と呼ばれるライブツアーは、毎回全国各地で開催され、ファンの間で「B'z ライブ 予想」「B'z ライブ 当選倍率」といった話題が盛り上がります。
ファンにとっては、「お決まりのMC」「松本のギターソロ」「稲葉の走り込み」「B'zのアンコール」が一つの文化となっており、ツアーが発表されるたびに全国のファンが熱狂します。ライブのセットリストは毎回異なり、「どのレア曲が演奏されるか?」というのもファンの楽しみの一つです。特に30周年記念の「B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-」では、懐かしい曲が多く披露され、長年のファンを感動させました。
B'zのもう一つの大きな魅力は、松本孝弘のギタープレイです。彼は世界的に評価されており、2010年にはソロアルバム『TAKE YOUR PICK』でグラミー賞を受賞しました。一方で、稲葉浩志の圧倒的な歌唱力も魅力の一つです。
さらに、B'zは日本国内だけでなく、海外でも評価されています。2012年にはアメリカツアーを成功させており、海外のロックファンからも反応もよく関心を集めています。彼らの音楽は時代を超えて愛され、現在も変わらず活動を続けており、その影響力は健在です。
B'zのすごいところは、ただの「長寿バンド」ではなく、常に進化を続けていること。デビューから一貫して変わらないのは、「かっこいい音楽を届けること」への妥協なき姿勢です。時代によってサウンドを変えながらも、B'zらしさを失わず、常に新たな挑戦をし続ける。だからこそ、「B'zは90年代のバンド」ではなく、2025年になっても、30年後になっても、新しいファンを増やし続けているのです。
NewJeans(ニュージーンズ)/NJZ(エヌジェージー) 似顔絵イラスト - 似顔絵プロ(テレビ番組のイラストレーター)
B'zが売れるきっかけとなった160万枚売れた「Bad Communication」、明石昌夫さんの証言
B'zが大ブレイクするきっかけとなったのが、1989年に発表されたミニアルバム『BAD COMMUNICATION』の表題曲「BAD COMMUNICATION」です。この曲は、B'zの音楽スタイルを決定づける重要な転換点となっただけでなく、当時の音楽業界の常識を覆すようなヒットを記録しました。
デビュー当初のB'zは、まだ一般的な知名度が低く、シングルやアルバムも大ヒットには至っていませんでした。しかし、当時のプロデューサーでもあり、アレンジャーとしてB'zの初期の楽曲を支えていた明石昌夫さんは、「B'zが売れるためには、今までにないような音を作る必要がある」と考えました。そこで生まれたのが「BAD COMMUNICATION」でした。
ファンクとロックを融合させた斬新なサウンド
「BAD COMMUNICATION」は、それまでのB'zの楽曲とは異なり、洋楽の影響を強く受けたファンクロックスタイルを取り入れた作品でした。松本孝弘さんはアメリカのロックやブルースに強い影響を受けていましたが、そこにプリンスやTOTO、デヴィッド・ボウイといったアーティストの要素を加え、よりダンサブルなサウンドに仕上げたのです。
このサウンド作りには、アレンジャーの明石昌夫が大きく貢献しています。彼は当時の証言で、「ファンクビートに松本さんのギターを乗せ、稲葉さんの英語を多用した歌詞を組み合わせたら、日本ではまだ新しいスタイルのロックができると思った」と述べています。また、「それまでは日本のバンドにファンクっぽい要素を取り入れるのは珍しかったが、B'zにはそれがハマった」とも語っています。
ライブハウスと有線放送からじわじわ広がった人気
BAD COMMUNICATION」は、発売当初こそ大きな話題にはなりませんでしたが、ライブハウスやクラブでかかることが増え、次第に口コミで人気が広がっていきました。特に有線放送でのリクエストが急増し、「B'zの曲は聴いたことがないけど、あの『Bad Communication』って曲は知ってる」という人が増えていったのです。
明石昌夫さんも、「BAD COMMUNICATIONが有線で流れ始めてから、状況が明らかに変わった」と振り返っています。音楽業界の関係者も、「あのB'zってバンド、ちょっと面白いかもしれない」と注目するようになり、それが後のヒットへとつながっていきました。
ミニアルバムでの異例の大ヒット
通常、アーティストが売れるのはシングルやフルアルバムがきっかけになることが多いですが、「BAD COMMUNICATION」はミニアルバムながら累計160万枚以上を売り上げる異例の大ヒットを記録しました。当時の音楽業界では「ミニアルバムがこんなに売れるなんてありえない」と驚かれましたが、これがB'zの人気を一気に押し上げることになったのです。
「BAD COMMUNICATION」後のB'zの方向性
この曲のヒットにより、B'zはロックとファンクを融合させた独自のサウンドを確立しました。その後、「BE THERE」「LADY NAVIGATION」「ALONE」といったシングルで次々とヒットを飛ばし、1990年代には日本を代表するロックバンドとしての地位を確立していきます。
明石昌夫は後に、「BAD COMMUNICATIONの成功がなければ、B'zは今のような形にはなっていなかったかもしれない」と語っています。まさにこの曲こそが、B'zが売れるきっかけを作った歴史的な一曲なのです。
テレビ番組・広告・Yottubeチャンネルのイラストレーター森本レオリオ このホームページにつきまして
B'z /びーず
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森本レオリオ/テレビ番組 イラスト制作/illustration