スポンサーリンク
近年、邦画にて●●監督の色というのは、大きい映画館でかかるような映画ではあまり出してはいけないのだろうか。
園子温監督まで行くと、明らかにSONO SHION Filesと分かりやすいくらい分かるのだが、最近はこの映画は●●監督のだ!というのが分かり辛い作品が増えた気がする。
映画として平均点を取るだけでも凄いことは分かる。
景気が悪いから、自主的な監督としての作品ではなく、「起用」としての雇われ監督の際には、結果を出さないと次がないと思われる。
本当に景気が悪い。
10年後には邦画がなくなっているんじゃないかと思うくらい(存在はするだろうけど、クオリィティは下がっていると思う)。
ハリウッドでさえ景気が悪くて、インド資本入れたり、中国資本入れたり、ニューヨークの街中での撮影と思わせてといて、実はカナダのトロントで撮影(撮影費を抑えるため)しているのに。
日本は、ドメスティック資本でドメスティックに向けて公開。全部、日本の中で完結しようとしてるものが大半。
時代も違うけども、その点で伊丹十三監督の映画は、分かりやすいくらいITAMI Filesとしての色がある。
伊丹十三記念館も行かせてもらった。
その中の一つの「マルサの女」のワンシーンのイラスト化。
そして、 伊丹十三氏と言えば、伊丹十三「一六タルト」のCM。
我が松山 我が一六タルト。
宣材写真 miyamoto nobuko marusa no onnna illustration 芸能人
スポンサーリンク