夢路いとし・喜味こいし(漫才コンビ)似顔絵 イラスト
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夢路いとし・喜味こいし(漫才コンビ)似顔絵 イラスト
夢路いとし・喜味こいしは、昭和を代表する上方漫才の名コンビです。彼らの存在を語るとき、多くの人がまず思い浮かべるのは、その品格ある笑いと、どこか懐かしく温かい雰囲気でしょう。派手さはないけれど、じんわりと心に染み入るようなやりとり。舞台の上で見せるふたりの呼吸は絶妙で、まるで長年連れ添った夫婦のような安心感がありました。
・夢路いとし(ゆめじ いとし)
本名:梶原 一騎(かじわら いっき)※別人と混同されることがありますが、同姓同名です
生年:1925年
ツッコミ担当(しかし柔らかい口調で、決してきつくない)
長身で上品な風貌
・喜味こいし(きみ こいし)
本名:西田 正治(にしだ まさはる)
生年:1926年
ボケ担当
小柄で童顔、
愛嬌のあるキャラクター
「品のある笑い」:下品なネタや過激な言葉を避け、どこか温かみのある家庭的なネタが多い。
しゃべくり漫才が中心で、日常会話の延長のような自然なやりとり。
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夢路いとしは、すらりとした長身に穏やかな語り口で、ボケるこいしを優しく包み込むようにツッコみます。怒鳴ったり、キツい言い方をしたりすることはほとんどなく、どこまでもスマートで柔らかいのが彼の特徴です。一方、喜味こいしはその小柄な体と愛嬌ある顔立ち、子どもっぽい無邪気な言動で笑いを取りますが、決してやりすぎない。その「さじ加減」が絶妙で、大人の笑いという言葉がぴったりの芸風をふたりで守り抜きました。
彼らが活躍した時代は、戦後の混乱が収まり、高度経済成長に向かって人々が前向きになっていく、そんな時代。生活に少し余裕が生まれ、笑いが求められるようになった時代の空気のなかで、「いとし・こいし」はまさに癒しのような存在でした。
演芸番組や寄席では、二人の登場を心待ちにする年配のファンも多く、「このふたりを見てると、なんや安心するなぁ」と口にする人が多かったのも印象的です。若い漫才師たちがスピードや勢いで勝負する中、彼らは間で笑わせる。そこには年季と信頼、そして「しゃべくり漫才」の美しさが詰まっていました。
解散ではなく「最期までコンビ」
彼らは引退や解散をせず、亡くなるまで現役として活動していました。
特に「漫才師は舞台で死ぬのが本望」とも語っていたほど、舞台に対する思いが強かったです。
喜味こいし:2011年逝去(享年85)
夢路いとし:2003年逝去(享年78)
コンビ仲がとても良かったことでも知られています。舞台だけでなくプライベートでも信頼し合っていたふたりは、「解散」や「方向性の違い」といった現代のお笑いコンビにありがちなトラブルとは無縁で、まさに最期まで寄り添うように芸を続けた存在でした。夢路いとしが亡くなったとき、喜味こいしは深い悲しみを口にしながらも、「あの人とやれて本当によかった」と語ったと言われています。
彼らは時代とともに、漫才のスタイルがどんどん変わっていっても、自分たちの芸を崩さなかった。それが「古い」とされることもあったかもしれませんが、ファンにとってはそれこそが「いとし・こいし」であり、何にも代えがたい魅力でした。だからこそ、彼らの芸には今でも根強い支持があり、「懐かしい」の一言で済ませてしまうには惜しい、まさに文化としての漫才の姿が、そこにはあったのです。
ファンにとって、夢路いとし・喜味こいしは「ただの面白いおじさんたち」ではありません。昭和の空気、関西の言葉、家族の団らんのぬくもり……そうしたものすべてを思い出させてくれる、心の中の大切な風景の一部なのです。
Yumeji Itoshi and Kimi Koishi were a beloved Japanese manzai comedy duo known for their refined and gentle style of humor.
They were known for their refined and warm-hearted performances, and are considered icons of postwar Japanese comedy.
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