一世風靡セピア(小木茂光、哀川翔、柳葉敏郎、西村香景、春海四方、柳葉敏郎、松村冬風、武野功雄)似顔絵イラスト
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「劇男一世風靡」から派生して誕生した「一世風靡セピア」
一世風靡セピア(いっせいふうびセピア)は、1980年代に活躍した男性路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡から派生したユニット。
″劇男一世風靡″ の中で、上の者が「歌やりたいヤツ手挙げろ」とレコード発売などの活動をしたい者を募ったところ、手を挙げたのがこの7名で、そのまま″一世風靡セピア″ として結成された。
メンバーはデビュー前、40~50人という大人数で活動しており、グループ名を ″劇男一世風靡″ とし、毎週日曜日に原宿の歩行者天国や渋谷公園通りの路上で、ズートスーツと呼ばれるダブダブのスーツを着て、ズボンにはサスペンダー、足には先の尖ったヨーロピアンシューズという特徴的なスタイルで音楽に合わせて踊り、歌い、あるいは飛び跳ね、バック宙なども交えてパフォーマンスを披露していた。
そこには多い時で1000人もの若者たちが集い、彼らの姿に釘付けになっていたという。その後、メンバーの中から音楽志向の強い7人が集まり、グループ名を ″一世風靡セピア″ と改め、本作にてメジャーデビューを果たす。
キャッチコピーは「デビュー前からスーパースター」。
「SHIBUYA」のツアーパンフレットにあった柳葉のコメントによると「それぞれの色を持った奴らを混ぜ合わせたらどんな色になるだろう」というのがセピアの由来の一つだったとしている。
1984年4月25日、「今、我に正直に生きてみたい」でポスターデビュー後に、音楽活動開始。「前略、道の上より」「賽を振れ!」「汚れっちまった悲しみに…」等ヒット曲を出したが、1989年7月31日、渋谷公会堂公演をもって解散。メンバーは卒団や消滅という言葉を使った。
よく中野英雄や勝俣州和がこのグループのメンバーだと紹介されることがあるが、彼らはセピアの母体の「劇男一世風靡」のメンバーであり、セピアの付き人ではあるもののメンバーではない。
30万売り上げた、デビュー曲「前略、道の上より」
「前略、道の上より」(ぜんりゃく、みちのうえより)は、一世風靡セピアの1枚目のシングル。1984年6月25日にBOURBON RECORDSから発売された。
レコードは30万枚を売り上げ、この年のレコード大賞新人賞を受賞。
オリコン最高位:5位。
ザ・ベストテン最高位:5位。
曲には太鼓の音や笛の響きが効果的に使われ、祭りの賑やかさそのものといった雰囲気を醸し出している。
歌の中で「ソイヤ」と聴こえる掛け声は歌詞カードでは「素意や」と表記されており、これには ″かねてからの願い″、″本心″ などの意味が込められている。
東京・渋谷の公園通り。毎週日曜日になると1000人もの若者が集い、そこで繰り広げられる7人の男のストリート・パフォーマンスに釘付けになっていた。
路上で音楽に合わせて、飛び跳ね、バック宙も見せ、歌も歌う。タブタブのズートスーツにズボンにはサスペンダー、先の尖ったヨーロピアン・シューズとコンバースを思い思いに履き、靴下は赤。リーゼントもいれば短髪もいる。
時にニヒルに、時に怒りをにじませた表情でストリート立つ彼らの名前は「一世風靡セピア」。6月にリリースされた「前略、道の上より」が口コミで火が付き、テレビCM、歌番組出演を機に大ヒット。84年夏、7人は一躍「時の人」となった。
太鼓の響きに続いて、笛のリズムに乗って「そいやそいや」と祭りの雰囲気そのもののデビュー曲は、各ヒットチャートのベストテンにも顔を出し、レコード売り上げは30万枚を記録。顔が売れると同時に、メンバーの中でも人気者が出てきた。その後俳優としても売れっ子になり、現在に至るまで第一線で活躍している柳葉敏郎、哀川翔らの原点は路上パフォーマンスにあると言える。
過去には「太鼓の達人」にも収録。
最近では、「【ウマ娘プリティーダービー】CM「一世風靡ウマ娘」篇 イントロver.」として、ウマ娘のカバーによるCMも流れている。
ISSEI__FUBI_SEPIA/いっせいふうびせぴあ
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森本レオリオ